クラブソング 浄書顛末について

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石橋君から、互一会の開催の度にガリ刷りのあまり麗しくないクラブソングの楽譜は浄書すべきという事で、浄書プロジェクトが始まりました。 このために、石橋君は、Scoreソフトを購入までしたのでした。ありがとうございます。 さて、その過程で、音符の誤り、歌詞が版によって異なると言うことが分かってきました。 そこで、作曲者の清水脩はすでに鬼籍に入っておられるので聞くことは出来ないが、作詞者はきっと我等の先輩であろうと当たりをつけたのです。 作詞者に直接聞いてみればこれほど確かなことはない、と。

そこで、卒業名簿で作詞者名を探したところ1966年前後の卒業生の中には"博美"という名前の方は存在しないことが分かりました。 これは、平成9年度版の卒業名簿です。 石橋君が調べて判明しました。私も手元の9年度版で確認しましたが、確かに"博美"という名前はありません。 一度はがっかりして捜索を断念しようと思ったのですが、ふと思いついて"伊東"という名字に着目して調べてみました。 この名字についても"伊藤"と記してあるガリ刷りと、"伊東"と記してある版とがあるのです。 しかし、もともと"伊藤"で有るならば、こちらの方はより普遍的な名前なので、わざわざ"伊東"に間違えることはないと思います。そこで、"伊東"に絞って検索したところ、何と1967年卒業の方に"伊東博臣" (いとうひろみと読むのだそうですが、その時には、ひろおみだと思いました)という項目を発見しました。 なんと音楽部と書いてあります。 きっとこの方が我等が求める作詞者に違いないと思い、失礼を顧みず直接お電話を差し上げてみたのでした。 一度目はお留守で、2度目の電話に出られたのは奥様でした。 昨今振り込め詐欺や、オレオレ詐欺などと言われているろくでもない電話が流行っている世相で、やはり奥様は突然の楽譜とか、歌詞の誤りとかいうお話に警戒されたようで、最後までお聞きになろうとなさいませんでした。 なので、顛末をファックスにしてお送り致しますとお願いして、ファックスを旦那様にお読み頂くことになりました。 その時には、とりあえず、後で旦那様からお電話を頂けるというお話でした。 ところが、3日たってもお電話がありません。 東京在住の明美ちゃんに相談したところ、"私から電話してみようか" とのことだったのでお願いしました。 そしたら、数時間もしないうちに明美ちゃんから電話が。。

やはり、伊東さんが作詞者だったという、興奮した内容でした。 伊東さんは現在も自分の作詞したクラブソングが歌い継がれていると言うことにいたく感激されたようで、3日間資料探し、それをコピーし郵便で送ってくださっていたのでした。 その後すぐに伊東さん本人からお電話も頂き、現在東京東音会では全くクラブソングは歌われていない、と残念そうでした。 我々以降の卒業生で東京東音会に出ているのはあまりいないのかしら。。と思いました。 が、とにかくこの貴重な歌を歌いつなぎ後輩に伝えていかなくてはいけないという思いを強くしました。 浄書した楽譜は石橋君から伊東先輩に贈呈して頂く予定です。 また、東高音楽部にも正しい楽譜を贈呈して歌いつないでもらいたいものです。

 

それにしても人間の思い込みが種々のケアレスミスを起こすことは周知の事実ですが、"伊東"が

"伊藤"になった始まりは、なんとそのクラブソング初演の定期演奏会プログラムだったことが分かりました。 定期演奏会プログラムにも"伊藤" とありました。 以来、ずーっと我々後輩は、作詞者は"伊藤博美"だと思ってきたわけです。 

 

しかし、今、謎はすべて解けました。 資料を快く公開してくださった伊東先輩には心から感謝申し上げます。 ありがとうございました。

 

三條 2009年10月

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まさか作詞者に突撃取材するような展開は思いもよりませんでした。三條君の行動力に脱帽です。でも半分は明美ちゃんの活躍かも。

この自筆の詩と殆どオリジナルの楽譜は感激ものでした。そして伊東大先輩に喜んで頂けたのがなによりでした。

石橋

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